「神社の参道って、真ん中を歩いちゃダメなのかな……」

そんな疑問を抱いたことはありませんか?

初詣や七五三など、神社を訪れる機会は多いものです。しかし参道の歩き方について正しく理解している人は意外と少ないのが現状。真ん中を避けて歩くべきなのか、それとも気にしなくてもいいのか、迷ってしまいますよね。

この記事では、参道の中央を避けるべき理由と、神さまへの敬意を表す正しい歩き方についてお伝えしていきます。また、混雑時や子連れ参拝時の対応方法、寺院との違いなど、実際の場面で役立つ情報もご紹介していきますので、ぜひ最後まで読んでみてください!

参道の中央を避ける理由とは?――「正中(せいちゅう)」と位階の考え方

参道の中央を避けて歩くという作法には、神道における深い意味が込められています。

ここでは「正中」という概念と、それに関連する位階の考え方について詳しく見ていきましょう。

中央は”神さまの通り道”――正中(せいちゅう)の意味

参道の中央は「正中(せいちゅう)」と呼ばれる特別な場所です。

正中とは、本殿から拝殿、賽銭箱、参道、鳥居まで続く直線状のラインを指します。この一直線のラインは、神さまが通る道とされているのです。

神社では、神さまがお住まいになる本殿を中心として、すべての建築物や配置が設計されています。正中はその中でも最も神聖な場所であり、神職が祭祀を行う際にも特別な作法が用いられるほど。

私たち参拝者が正中を避けて歩くのは、神さまの通り道をふさがないようにという配慮から生まれた作法なのです。

ただし、これは絶対的な禁止事項というわけではありません。むしろ、神さまへの敬意を表す「表現方法のひとつ」と考えるとよいでしょう。

右側・左側どちらを歩く?進左退右(しんさ・たいう)の考え方

参道を歩く際、「右側と左側、どちらを歩けばいいの?」と迷う方も多いはず。

基本的には、参道の中央を避けていれば左右どちら側を歩いても問題ありません。

しかし、より丁寧な作法として「進左退右(しんさ・たいう)」という考え方があります。これは「進むときは左側、退くときは右側」という意味です。つまり、神社に参拝に行くときは社殿から見て右側(参拝者から見て左側)を歩き、帰るときは社殿から見て左側(参拝者から見て右側)を歩くということ。

神道では、左は神、右は人を意味するとされています。そのため、神さまに近づくときは左側を選ぶという考え方なのです。

ただし神社によっては、伊勢神宮のように左右の歩き方が指定されている場合もあります。境内に案内がある場合は、その指示に従うことが大切です!

位階の序列と参道の関係――中央・右・左の意味を知る

神社における位置には、明確な序列が存在しています。

最も位が高いのが中央の正中で、次に向かって右側(神さまから見て左側)、そして向かって左側(神さまから見て右側)という順番です。

この考え方は、神輿渡御(みこしとぎょ)などの神事でも見られます。神さまが発御(はつぎょ)される際には、最も位が高い中央を通られるのです。また結婚式などで神殿の中に入る機会があれば、座席の配置もこの正中に近いほど上位とされていることに気づくでしょう。

神職も日常的には正中を避けて歩きますし、やむを得ず横切る際には軽く頭を下げながら通ります。

つまり正中を避けるという作法は、この位階の序列を理解し、神さまを最上位に置いて敬意を表すための方法なのです!

中央を歩かないのはマナー?――公式見解とよくある誤解

参道の中央を歩かないという作法について、実は様々な見解や誤解が存在しています。

ここでは神社本庁の公式見解と、よくある誤解について整理していきましょう。

神社本庁の見解:「中央を避けるのは”敬意の表し方”」

神社本庁の公式サイトによれば、参道の中央を避けて歩くのは「敬意を表す歩き方」として知られているとされています。

これは神職が祭祀を行う際に用いる正中作法にならったもの。しかし、絶対に歩いてはいけないという厳格なルールではありません。

あくまでも、神さまへの敬意を形にするための作法のひとつなのです。

全国の神社に問い合わせた調査でも、「絶対に通ってはいけないわけではないが、聖なる場所なのでなるべく避けたほうがよい」という回答が多数を占めています。都内のある神社では「人の前を横切るときに頭を下げるのと同じ感覚で、正中を横切るときは立ち止まって軽くお辞儀をするとよい」との見解も。

つまり、参道の中央を避けるのは「してはいけないこと」ではなく、「できればしたほうがよいこと」という位置づけなのです!

「歩いたら罰が当たる」は誤解――本来の考え方を整理

「参道の真ん中を歩いたら罰が当たる」という話を聞いたことがある方もいるかもしれません。

しかし、これは大きな誤解です。

ある神社の神職の方は「正中を歩いてはならないというのは都市伝説的な話」と明言されています。正中作法は確かに存在しますが、それは足の進める順番や所作が細かく取り決められているもの。「歩いてはいけない」という内容ではないのです。

また、神さまが日常的に正中を通って出歩いているわけでもありません。

神輿渡御など特別な神事の際に、最も位が高い場所として神さまが中央を通るというだけのこと。混雑している初詣などでは、物理的に中央を避けることが難しい場合も多々あります。そのような状況で中央を歩いたからといって、罰が当たるようなことはないのでご安心ください。

大切なのは、神さまへの敬意を持つ心そのものなのです!

知っておきたい!神職が教える”柔軟な作法”の心構え

神社の作法について、神職の方々は意外と柔軟な考え方を持っています。

ある神社では「本殿のなかはともかく、参道では意識する必要はない」という見解も示されているほど。

作法やマナーをしっかり把握して適切に振る舞うのは望ましいことです。しかし最も大切なのは、形式よりも参拝する気持ち。神さまに対して誠実な心でお参りすることが何よりも重要なのです。

恐縮しすぎる必要はありませんが、厳かな気持ちを持って参拝しましょう。

「完璧な作法ができなければ失礼になる」と気にしすぎるのではなく、「神さまへの感謝と敬意を表したい」という素直な気持ちを大切にすること。その気持ちが自然と適切な振る舞いにつながっていくのです。

作法は、その気持ちを形にするための手段にすぎません。心を整えて、気持ちよくお参りすることを第一に考えてみてください!

拝殿前・混雑時・子連れ参拝時――実際の場面別”歩き方”ガイド

理論はわかっても、実際の場面でどう行動すればよいのか迷うこともありますよね。

ここでは、具体的なシチュエーション別に正しい歩き方をご紹介していきます。

拝殿の前では中央に立ってOK!――参拝時の立ち位置ルール

参道では中央を避けて歩くのがマナーですが、拝殿の前に到着したら話は別です。

お参りするときは、中央に立ってもまったく問題ありません。

むしろ、斜めを向いて神さまに向き合うほうが失礼にあたります。神前で直接向き合うときは、正中に立つのが正しい作法なのです。

具体的な手順としては、まず拝殿の前まで参道の端を歩いて進みます。そして拝殿に到着したら正中に移動し、中央に立って鈴を鳴らしましょう。神さまに参拝に訪れたことを告げ、正面からお参りさせていただくのです。

本殿で行われる祭事でも、宮司は通常は正中を避けて並びますが、祝詞を奏上するときには神さまの正面に立ちます。

つまり「歩くときは端、お参りするときは中央」が基本ルールなのです!

混雑時や横切るときの正しい所作――軽く一礼して通るのが礼儀

初詣などで参道が混雑しているとき、中央を避けるのが難しい場合もあります。

そのような状況では、無理に端を歩こうとする必要はありません。

人の流れに逆らって混乱を招くほうが、かえって問題です。混雑時は右・左・中央を気にせず、安全に気をつけて進むことを優先しましょう。神さまも多くの参拝客が次々と訪れる状況では、参道を通ることもないはずです。

また、参道の真ん中を横切らなければならない場面もあるでしょう。

反対側の出店に行きたいときや、トイレに向かうときなど。そのような際には、軽く会釈をしながら横切るのが礼儀です。あるいは、中央で神前に向き直って一礼してから横切るという方法もあります。

「人の前を横切るときに頭を下げる」のと同じ感覚で、敬意を表すことが大切なのです!

子ども・ベビーカー・車椅子での参拝はどうする?

小さな子どもと一緒の参拝や、ベビーカー・車椅子を使用する場合も悩むポイントですよね。

結論から言えば、これらの場合も過度に気にする必要はありません。

子どもは参道を自由に歩き回ることもありますし、じっと端を歩かせるのは現実的に難しいもの。無理に作法を守らせようとして、かえって騒がしくなっては本末転倒です。神さまも、子どもたちが元気に参拝する姿を温かく見守ってくださるはずですから。

ベビーカーや車椅子の場合は、参道の状態によっては中央のほうが歩きやすいケースもあります。

玉砂利が敷かれた参道では、端よりも人通りの多い中央のほうが固まっていて通りやすいことも。安全第一で、無理のない歩き方を選択してください。

大切なのは、神さまへの感謝の気持ちを持って参拝することです。形式にとらわれすぎず、心を込めてお参りしましょう!

団体・同行者がいる場合の並び方と順序のマナー

家族や友人と一緒に参拝するとき、どのように並んで歩けばよいのでしょうか。

基本的には、横に広がりすぎないように注意しながら、参道の端を歩くことを心がけます。

団体で参拝する場合は特に配慮が必要です。大人数で横一列に並んで歩くと、参道を塞いでしまい他の参拝者の迷惑になります。2列程度に分かれて歩くようにしましょう。

また、祭事や結婚式などで本殿に参列する際には、正中を空けて左右に分かれて並ぶのが一般的。

この場合も、正中に近いほど上位という位階の考え方が適用されます。新郎新婦が結婚式で正中を進んで神殿に入るのは、普段は神さましか通らない道を歩むという特別な意味が込められているのです。

日常の参拝では、同行者と楽しく会話しながらも、他の参拝者への配慮を忘れないことが大切です!

“進左退右””鳥居・手水・玉砂利”も押さえておきたい参拝作法

参道の歩き方以外にも、知っておきたい参拝作法は数多くあります。

ここでは、神社参拝の流れに沿って主要な作法をご紹介していきましょう。

鳥居をくぐるときは中央を避けて一礼――境内に入る前の作法

神社参拝は、鳥居をくぐるところから始まります。

鳥居は俗世と神域の境界を示すもの。ここから先は神さまのお住まいになる聖なる場所なのです。

鳥居をくぐる前には、まず拝殿の方を向いて軽く一礼しましょう。この一礼のことを神道では「一揖(いちゆう)」と呼びます。そして、鳥居の中央より端に立ち、中央から遠い方の足から踏み出してくぐります。

つまり鳥居の右側で一礼した人は右足から、左側で一礼した人は左足から入るということ。

これは一歩目でお尻を正中に向けない、出した足で真ん中方向を蹴らないようにするための配慮です。帽子をかぶっている場合は、必ず脱いでから鳥居をくぐりましょう。コート類も、天気や気温によっては脱がなくても構いません。

参拝を終えて帰る際も、鳥居を出た後に振り返って拝殿の方を向き、一礼することを忘れずに!

手水舎の正しい使い方と意味――清める心が大切

鳥居をくぐって参道を進むと、手水舎(てみずや・ちょうずや)があります。

ここで手と口を清めるのは、神さまの前に立つ前に心身を清めるため。

正しい手順は次の通りです。まず右手で柄杓を持ち、水をくみます。その水で左手を清め、次に柄杓を左手に持ち替えて右手を清めます。再び柄杓を右手に持ち、左手に水を注いで口をすすぎましょう。

口をすすいだ水は、手で受けて地面に流します。

最後に、柄杓を立てて残った水で柄の部分を清め、元の位置に戻します。

本来、神社のような神聖な場所をお参りする際には、川や海の清い水で全身を洗い清めてから参拝していたそうです。伊勢神宮内宮の五十鈴川のように、神社の周りに流れる川で禊(みそぎ)をしていました。それを簡略化したものが、現在の手水なのです。

形だけでなく、心を清める気持ちを持つことが何より大切ですよ!

玉砂利が敷かれている理由――”音で清める”の象徴

多くの神社では、参道に玉砂利が敷き詰められています。

これは単なる装飾ではなく、深い意味を持つものです。

「玉」には「魂」や「御霊(みたま)」の「タマ」と同じ意味があり、「美しい」「宝石」「大切なもの」という意味も込められています。一方「砂利」は本来「さざれ(細石)」がなまったもの。つまり玉砂利とは、御霊の籠もった美しい宝石のような小さい石という意味なのです。

日本では古くから、神聖な場所をさらに清浄にするためにきれいな石を敷き詰める習慣がありました。

伊勢神宮の白石などが代表例です。玉砂利を敷くことで境内の清らかさを保ち、参拝者も玉砂利を踏みしめることで身を清めることができます。

また、玉砂利を踏むときのジャリジャリという音には、邪気や魔を祓って場を清める効果があるとされています。実用的な面では、雨の日の泥はねを防ぎ、雑草の繁茂を抑える効果も。参拝者の袴の裾が汚れにくくなるという配慮もあるのです。

玉砂利の上を歩くときは、その音に耳を傾けてみてください!

“進左退右”とは?――神社での動作の基本を覚えよう

「進左退右(しんさ・たいう)」は、神社での動作の基本となる考え方です。

これは「進むときは左、退くときは右」という意味。

参道を歩くときだけでなく、神前での所作全般に関わる概念なのです。神道では、左は神、右は人を意味するとされています。そのため、神さまに近づくときは左側を選び、左足から踏み出すという作法が生まれました。

ただし、この考え方は神社や地域によって解釈が異なる場合もあります。

伊勢神宮では、外宮は左側通行、内宮は右側通行と明確に決まっているなど、個別のルールが存在することも。そのため、訪れる神社に案内がある場合は、その指示に従うのが最も確実です。

また、混雑時や実際の参拝では、厳密に守ることが難しい場合もあります。

基本の考え方として頭に入れておきつつ、状況に応じて柔軟に対応することが大切。形式にとらわれすぎず、神さまへの敬意を持つ心を第一に考えましょう!

Q&A:これってOK?NG?――よくある疑問に神職見解で回答

実際の参拝では、様々な疑問が生じるものです。

ここでは、よくある質問に対して具体的にお答えしていきます。

参道の真ん中を横切ってもいい?

参道の真ん中を横切る必要がある場面は、実際によくあります。

結論から言えば、横切ること自体は問題ありません。

ただし、その際の所作に配慮が必要です。横切るときは、軽く頭を下げながら通るか、中央で神前に向き直って一礼してから横切るようにしましょう。

神職の方々も、やむを得ず正中を横切る際には同様の所作をされています。

「人の前を横切るときに少し頭を下げる」のと同じ感覚で、神さまへの敬意を表すことが大切なのです。堂々と真ん中を突っ切るのではなく、「失礼します」という気持ちを形にする。それだけで十分に礼儀を尽くしたことになります。

特に、小さな子どもが真ん中を横切ってしまっても、目くじらを立てる必要はありません。子どもの元気な姿も、神さまは温かく見守ってくださるはずですから!

写真を撮るときは中央に立って大丈夫?

記念撮影をしたいとき、参道の中央で写真を撮ってもよいのか気になりますよね。

基本的には、撮影自体は禁止されていない場合が多いです。

ただし、撮影マナーには注意が必要。まず、神社によっては撮影禁止の場所や時間帯が指定されている場合があります。本殿の内部や祭事の最中などは、特に配慮が求められるでしょう。

参道での記念撮影については、長時間中央を占拠するのは避けるべきです。

サッと撮影して、すぐに端に移動するなら問題ないでしょう。しかし、本格的な撮影セッションのように参道を長時間使用するのは、他の参拝者の迷惑になります。

また、神社はフォトスタジオではなく祈りの場であることを忘れずに。

撮影に夢中になるあまり、参拝の本来の目的を見失わないようにしましょう。敬意を払う心さえあれば、適度な記念撮影は問題ありませんよ!

お寺の参道も中央を避けるべき?

神社とお寺では、作法が異なる部分があります。

参道の歩き方についても、実は違いがあるのです。

神社の参道は「神さまの通り道」という考え方がありますが、お寺の参道にはそのような概念はありません。お寺の参道は「修行の道」「心を整える道」という意味合いが強いのです。

そのため、お寺の場合は参道の真ん中を歩いても特に問題はないとされています。

ただし、各寺院によって見解が分かれる場合もあります。「神社に準じて中央を避けたほうがよい」という考え方を持つお寺もあるのです。

共通しているのは、境内は聖域であり、敬う心を持って参拝するという姿勢。

神社では拍手を打ちますが、お寺では静かに合掌のみというように、宗教の違いによる作法の差はあります。しかし、敬意を払う気持ちは神社もお寺も変わりません。その心を大切にしていきましょう!

夜や雨の日など、参道が狭いときの歩き方は?

天候や時間帯によっては、参道の状況が変わることもあります。

夜間や雨の日は、足元が見えにくく安全面での配慮が必要です。

このような状況では、作法よりも安全を優先するべきでしょう。暗くて参道の端が見えにくい場合や、雨で足元が滑りやすくなっている場合は、無理に端を歩こうとせず、歩きやすい場所を選んでください。

参道が狭い神社では、そもそも中央と端の区別が曖昧な場合もあります。

また、玉砂利が敷かれた参道では、雨の日に端を歩くと水たまりができていることも。そのような場合は、人通りの多い中央のほうが歩きやすいこともあるのです。

神さまも、参拝者が安全に参拝できることを望んでいらっしゃるはず。

形式にこだわるあまり怪我をしては本末転倒です。状況に応じて柔軟に判断し、安全第一で参拝することを心がけてください!

神社とお寺で違う?――境内の作法・歩き方の比較解説

神社とお寺は、どちらも日本の宗教施設ですが、実は多くの違いがあります。

ここでは、参道の歩き方を中心に、両者の違いを詳しく見ていきましょう。

神社の参道=神さまの道/お寺の参道=修行の道

神社とお寺では、参道に対する考え方が根本的に異なります。

神社の参道は「神さまが通る道」とされ、中央の正中は特別な意味を持つ場所です。

本殿に鎮座する神さまから、拝殿、参道、鳥居まで続く一直線のラインが正中。ここは神さまの通り道であり、最も位の高い場所とされています。そのため、私たち参拝者は端を歩いて敬意を表すのです。

一方、お寺の参道は「修行の道」「心を整える道」という意味合いが強くなっています。

日常の喧騒から離れ、静かに自己と向き合う時間を与えてくれる場所。お寺の本堂が敷地の奥まった場所にあることが多いのも、参道を歩くことで気持ちを切り替え、聖域に至るまでに心を整えるためなのです。

また、参道は産道(お産の道)を表しているという説もあります。

母親の胎内から生まれ出るように、俗世から聖域へと生まれ変わる過程を象徴しているという考え方です!

寺院では中央を歩いても問題ない理由

お寺の参道では、基本的に中央を歩いても問題ありません。

これは、お寺の参道に神社のような「神さまの通り道」という概念がないためです。

仏教では、仏さまは人々を平等に見守ってくださる存在。特定の場所を「通り道」として確保する必要がないという考え方なのです。また、お寺は祈りの場であると同時に、修行の場、瞑想の場でもあります。

参道を歩くこと自体が修行の一環とも捉えられるため、どこを歩くかよりも、どのような心で歩くかが重視されます。

ただし、各寺院によって見解が分かれる場合もあることは知っておくべきでしょう。

一部のお寺では「神社に準じて中央を避けたほうがよい」という考え方を持っているところもあります。気になる場合は、寺院に確認するか、周囲の参拝者の様子を観察するとよいでしょう。

いずれにしても、最も大切なのは敬う心を持って参拝することです!

両者に共通する”敬う心”の持ち方

神社とお寺では作法に違いがありますが、根底にある精神は共通しています。

それは、聖なる場所への敬意を持つという心です。

神社では鳥居の前で一礼し、お寺では山門の前で一礼します。神社では二拝二拍手一拝、お寺では静かに合掌のみ。参道の歩き方にも違いがありますが、どちらも「自分を整え、清らかな心で祈りを捧げる」という目的は同じなのです。

作法は、その敬意を形にするための手段にすぎません。

完璧な作法ができなくても、誠実な心で参拝すればよいのです。実際、日本人でも作法の細かい部分を完全に理解している人は少数派。それでも、神さまや仏さまは私たちの誠実な努力を評価してくださるはずです。

形式にとらわれすぎず、「感謝の気持ち」「願いを込める心」「日々の暮らしへの感謝」など、素直な気持ちを大切にしましょう。

その心があれば、多少の作法の間違いは問題になりません。気持ちを込めて、清々しくお参りすることが何より大切なのです!

まとめ

参道の中央を避けて歩くのは、神さまへの敬意を表すための作法です。

中央の「正中」は神さまの通り道とされ、最も位の高い場所。私たち参拝者は端を歩くことで、その尊さを認識し、敬意を形にしているのです。

ただし、これは絶対的な禁止事項ではありません。混雑時や安全面での配慮が必要な場合は、柔軟に対応して問題ないでしょう。神職の方々も「最も大切なのは参拝する気持ち」と明言されています。

鳥居をくぐる前の一礼、手水での清め、玉砂利を踏みしめる音――これらすべてが、神さまに近づくための準備です。

お寺では参道の歩き方が異なるなど、宗教による違いもあります。しかし共通しているのは、聖なる場所への敬意を持つという心。形式にとらわれすぎず、感謝の気持ちを大切にすることが何より重要なのです。

これからは参道を歩くとき、神さまの存在を意識しながら、心を込めてお参りしてみてください。完璧な作法よりも、誠実な心のほうがずっと大切です。あなたの参拝が、より意味深いものになりますように!